
実家の母が通う、実家の延長のような八百屋
実家のある町の八百屋さんは、いつも明るくて少し懐かしい匂いがします。
店先には、泥のついたじゃがいもや、かごいっぱいのみかん。
母は今日も「安いわねぇ」と目を輝かせては、袋をひとつ、またひとつ。
そんな姿を見るたびに、
この町のゆるやかな時間の流れを感じます。
昔ながらの店先に流れる時間
実家のある町に、昔ながらの八百屋さんがあります。
私が子供の頃からずっとあって、
木箱も、値札の字体も、まるで時間が止まったようです。
スーパーのように整然とはしていないけれど、その分、人の温度があります。
「いらっしゃいませ」よりも「お、今日も来たね」の方が似合うお店です。
高齢の親にとって買い物は大切な日課
母はこの八百屋さんの常連です。
新鮮で安いと聞けば、もう止まりません。
じゃがいも、にんじん、みかん、バナナ。
「このくらいなら持てるわよ」と言いながら
袋を一つ手に取り、もう一つを私に渡す。
その仕草が、少し頼もしくて、少し心配でもあります。
それでも、買い物の時間は母にとってちょっとした張り合いのようです。
以前、やる気を出して始めた実家の家庭菜園の話も書きましたが、母は何か役割があるとぐっと元気になる人です。その記事はこちら
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選ぶ目は今も真剣で、値段の計算もなかなか早い。
私は、袋を支えながら"この時間が長く続くといいな"と思っています。
地域の八百屋がつなぐ、変わらない会話と町の空気
会計のとき、母は財布を探して
「ちょっと待ってね」と言えば、店員さんは笑って「大丈夫、何年でも待ちますよ😀」
そのやり取りを聞くと、
ああ、この町だなあと思います。
この八百屋さんは、
野菜を売るだけの場所ではなくて、人の暮らしをゆるやかに繋いでくれる場所なんだと思います。
変わらない店があって、変わらない会話がある。
母の「ちょっと待ってね」も、店員さんの「大丈夫」も、
この町の平和なBGMのような気がします。
実家の暮らしは、派手ではないけれど、こうした小さな積み重ねで成り立っています。実家の日常の記事はこちら
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まとめ🍅
八百屋さんでの買い物は、
単なる買い物以上の時間をくれます。
母の笑顔と店員さんの声に、
小さな安心と懐かしさが混ざって、今日もこの町は、静かに息づいています。
高齢の親にとって、近所で安心して買い物ができる場所があることは、
思っている以上に大きな支えなのかもしれません。
実家の暮らしを守ってくれているのは、
こうした地域のお店とのゆるやかなつながりなのだと感じています。